101「高千穂町」

20100403宮崎県五ケ瀬町にて撮影

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◯白看の種類:101「高千穂町」(複柱式)

 

◯設置されている道路:五ヶ瀬町道40号室野〜越次線(国道218号線旧道)

 

◯概要:前述のとおり五ヶ瀬町高千穂町の境界は津花峠ではなく、そこから直線距離にして東に1.5Km、道に沿って行くと3Kmほど東に存在する。そしてこの町界には101がそれぞれ残っていて非常に貴重である。熊本方面から来ると先に登場するのが101「高千穂町」。

大型車にぶつけられたのか、標識板の右側が破損している。そこから錆が出始めていて状態はベストとは言いがたい感じだ。複柱式であるが、鏡山峠のものと同様に支柱はコンクリート管でである。また、鏡山峠のそれはプラスチック合板のような素材で小さめの盤面だったが、こちらは正統派の鉄板である。裏はストリートビューで確認してみると、「二型」である。おそらく、鏡山峠の101よりは古いだろう。

 

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地理院地図

 

 

104「熊本/馬見原」

20100403 宮崎県五ケ瀬町にて撮影

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◯白看の種類:「熊本98Km/馬見原12Km」(単柱式)

 

◯設置されている道路:五ヶ瀬町道40号室野〜越次線(国道218号線旧道)

 

◯概要:国道218号線旧道の難所だった津花峠。峠の標高は679.5mで、北の桝形山(標高982.2m)、南の明神山(標高947.9m)の鞍部にあたる。気を付けないといけないのは五ヶ瀬町高千穂町の境界は峠ではなく、峠から直線距離で1.5Kmほど東にある。

五ヶ瀬町史(1981)にはこのような記述がある。

かつて「酷道」の名をもって悪名高かった二一八号線津花峠の険路も(p.513)

この五ヶ瀬町史が書かれたのは1981(昭和56)であるから、今から30年以上も前に「酷道」認定された「国道」だったのだろう。

この津花峠の歴史は古く、前回の記事に紹介した馬見原(現山都町)は徳川時代から明治初年にかけて豊後竹田に比肩する商業町で、高千穂郷の商品は殆ど馬見原ないし、竹田を経由してきたそうだ(現大分県道・熊本県道・宮崎県道8号竹田五ヶ瀬線)。そんな重要路の津花峠を村としてもいち早く改良したかった。1889(明治22)年には村道として開削することとなり、峠を40尺(12m)ほど掘り下げたらしい。更に1893(明治26)年には県道として車道開削の工事を起工、村内各個の賦役によって1897(明治30)年10月に完成。馬車が通れるようになった。昭和初期には五ヶ瀬町にも貨物自動車や乗合自動車が現れたようだ。

さて、前置きが長くなったがこの104は峠の頂上付近、東側に立っている。「馬見原」は前述のとおり旧蘇陽町の中心街だが、行政区域としての「馬見原町」は1956(昭和31)年9月に消滅している(周辺の2村と合併し蘇陽町発足)。これは仮説だが、行き先表示が「蘇陽」ではなく「馬見原」であることを考えると1956年より前の設置という可能性もゼロではないかもしれない。

標識板自体の状態は周囲に木があり日除けや雨よけになるのか古い割には錆がすくなく状態は良好である。

 1枚目の記事を書いた時には公開されていなかったが、津花峠もストリートビュー対応になっている。廃道とは言わないが、こんな旧道区間にまで調査が及んでいることが本当に驚きである。路面は2010年に訪れた時よりも少し荒れているようだ。

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地理院地図 

 

104「延岡/高千穂」

20100403宮崎県五ケ瀬町にて撮影

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◯白看の種類:104「延岡75Km/高千穂18Km」(単柱式)

 

◯設置されている道路:五ヶ瀬町道40号室野〜越次線(国道218号線旧道)

 

◯概要:国道218号線旧道の白看群は第3弾。熊本県側から来ると五ヶ瀬町の中心街を過ぎ、室野集落に差し掛かったあたりで旧道は現道と幾分離れる。その現道を離れてすぐの場所にこの白看は立っている。単柱式の104で、白看といえども白い要素は殆どなく、茶看と言っても何ら差し支えのない状態だ。「高千穂」の文字の部分には地衣類だろうか。腐食した部分から生えてきている。延岡の「岡」の字や距離表示の数字(長体をかけた全角数字)がいかにもな白看らしい。

 

なお、下のストリートビューはこの白看がある場所から100mほど熊本よりの現道の距離表示である。

バイパス化によって、延岡は白看が75Kmに対して現道は65Km、同じく高千穂が18Kmに対して12Kmと距離が短くなっている。この後、現道は室野川に沿って走り、鞍部に達する前に全長947mの津花トンネルであっさりと高千穂町に入ってしまう。この津花トンネルは1973(昭和48年)3月完成。(※「角川日本地名大辞典」では、1973(昭和48)年6月着工、1977(昭和52)年2月に竣工とあるが間違いかもしれない)。距離は上記の通りの短縮となったが、五ヶ瀬町役場から旧国鉄高千穂駅までバスは55分から25分、乗用車は45分から20分にそれぞれ短縮された。この津花トンネルを含む現道、津花バイパスは1984(昭和59)年に全線供用を開始した。以下のストリートビューは津花トンネルの五ヶ瀬側坑口である。

ストリートビュー

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地理院地図
この写真が撮影された時点では津花バイパスは供用されているようだ。

101「五ヶ瀬町」102「宮崎県」

20100403宮崎県五ケ瀬町にて撮影

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◯白看の種類:101「五ヶ瀬町」102「宮崎県」

 

◯設置されている道路:五ヶ瀬町道(国道218号線旧道)

 

◯概要:国道218号線旧道、鏡山峠のもう1つの白看。宮崎県側にある101と102のセットだ。峠は、山都町側は完全に暗い林の中であったが、五ヶ瀬町側になると田んぼが広がり、明るく人の営みを感じることが出来る。

標識自体は、熊本県側のものと違い、大きさは一回り小ぶり。また、盤面が鋼板ではなく、合成樹脂のようなもので出来ているのか、錆はなく、比較的きれいな状態を保っている。さらに大きな特徴として、支柱がコンクリート製であることが挙げられる。小さな盤面に太い支柱が2本ついているのは少々不恰好だが興味深い。裏面の写真を撮っていないのが悔やまれるが、どのような形で取り付けられていたのだろうか。

…気がついたらストリートビューが公開されていた。ちょっと不思議な取り付けられ方である。補強鋼は1枚でコンクリート柱がリングで取り付けされているようだ。4年前の写真と違うのは、何やら長い竹竿がくっけられたことだ。道路反対側の木組み(交通安全の標語でも書かれていたか)と鉄線か何かで結ばれている。

以前書いた国道219号線旧道、横谷峠の記事を見ていたら、こちらの101、102のセットもコンクリート支柱のようだ。これは宮崎県特有の特徴だと思われるので、引き続き研究を進めたいと思う。

なお、五ヶ瀬町は1956(昭和31)年8月に鞍岡村、三ヵ所村が対等合併して成立したので、当然ながらこの白看の設置はその後である。

この小さなサミットを超えると、国道218号線は、五ヶ瀬町の中心部である三ヵ所地区へと至る。

 

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101「蘇陽町」102「熊本県」

20100403熊本県山都町にて撮影

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◯白看の種類:101「蘇陽町」102「熊本県」(複柱式)

 

◯設置されている道路:山都町道(国道218号線旧道)

 

◯概要:今回から熊本県熊本市から宮崎県延岡市に至る国道218号線旧道の白看群を紹介する。九州の真ん中を東西に貫くこの路線は、1953(昭和28)年5月に二級国道熊本延岡線として指定施行された。しかし、九州山地を越える熊本県・宮崎県の県境付近から、宮崎県五ヶ瀬町高千穂町にかけての区間は急勾配、急曲線の箇所が続き輸送上のネックとなっていた。そのため線形不慮箇所の改良を目指し、昭和40年代の後半から昭和50年代にかけて一次改築事業が行われ、宮崎県内のほとんどの区間がバイパス化された。(国土交通省の事業評価報告書

この一次改築が行われた時期は白看時代の末期から白看廃止のすぐの頃にあたる。そのためか、旧道区間には数多くの白看が残されており、九州でも屈指の「白看特異点」となっている。

まず紹介するのは熊本県と宮崎県境にある101と102のセット。地形図などには名前が出ていないが、県境があるのは「鏡山峠」というらしい(角川日本地名大辞典:この峠の南側にある標高916mの鏡山より)。写真を見ていただくとわかるが片側1車線未満の狭隘路である。1979(昭和54)年、五ヶ瀬バイパスの完成によって新道化された。

 

この白看は東向きに立っている熊本県側のもの。101にある「蘇陽町」は2005(平成17)年に周辺の1町1村と合併、山都町になっている。この白看を取材したのは2010年だからかれこれ5年間、昔の名前で出ている状態である。普通、山奥の白看でも市町村名が変更されると撤去、もしくは修正の対象になるのだが、これは稀有な例ではないだろうか。

ここは流石にストリートビューはないので、かつてのあっさり取材をカバーすることはできないが、裏面はおそらく両方の標識とも薄い補強鋼の「二型」である。盤面はその補強鋼の部分から錆が回っているのか、かなり傷みが激しくなっている。盤面自体はわりかし大きめのもので、国道たる矜持であるとも言える。また、まわりは矢部土木事務所による標識群に脇を固められ、酷道の存在感を十二分に表している。

 

大型貨物自動車等通行止 
車輛総重量 8t以上 大型特殊車長 8m以上 矢部土木事務所

 

f:id:zaicchan:20140615103349p:plainお知らせ
これより40kmの区間は崖くずれ等のおそれがあります
降雨量   200ミリメートル
時間雨量    30ミリメートル
最大風速       30メートル
積雪及び凍結になると 

通行止を行います 矢部土木事務所長 矢部警察署長

f:id:zaicchan:20100403154912j:plain うーん。わくわくする道路であることは間違いない。

ストリートビュー

2014年6月14日現在、鏡山峠の宮崎県側の区間がストリートビューで公開されている。Googleのカバーぶりは執念とも狂気とも感じられるようになってきた。

 

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地理院地図
航空写真上部に建設中のバイパスの様子が見える。上掲Google Mapと比較されたい。

101「大阪市」

20111113大阪府大阪市鶴見区にて撮影

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◯白看の種類:101「大阪市」(単柱式)

 

◯設置されている道路:大阪府道2号大阪中央環状線(旧道)(旧大阪府道堺布施豊中線)

 

◯概要:前回紹介したオーバーハング式の101「守口市」の対向車線に設置された101「大阪市」。支柱はかなり新しめのようだが、盤面はやたらに錆が回って“茶看”化している。ここから先は大阪市鶴見区である。鶴見区は1974(昭和49)年、城東区の大阪内環状以東、第二寝屋川以北を分区して成立した。なので、設置当時は「大阪府城東区」の境であったはずだ。
ストリートビューで裏側を見てみると、高リブの二型である。盤面も大きいので、かなり後年になっての設置であろう。少なくとも向かいの101「守口市」よりは新しい筈だ(当初は同様のオーバーハング式だったのかもしれない)。支柱もどこかの時点で新しくされたのだろう。

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101「守口市」

20111113大阪府守口市にて撮影

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◯白看の種類:101「守口市」(オーバーハング式・鋼管柱F型取り付け)

 

◯設置されている道路:大阪府道2号大阪中央環状線(旧道)(旧大阪府道堺布施豊中線)

 

◯概要:先に紹介した101「守口市」から南に4キロ。大阪中央環状線は近畿自動車道の門真インター付近で、2ルートに分かれる。整備前の上下線1車線の道路が、ほぼ新道(1960年代後半〜1971年までに完成)と並行するように走っている。現在も府道指定されていて、「旧中環」などと呼ばれている。その「旧中環」の守口市大阪市鶴見区の境界に設置されているのがこちらの101。

鳥飼大橋そばのものと大きく違うのが、その文字のスタイル。守口の「守」の字の点が「寸」ではなく「才」のようになっている。標識板の材質もこちらは鉄板のようだ。

また取付方法も違っており、先に紹介した101はモダンな「逆L字型」だった。一方こちらは関西でよく見られる「F型」である。これまでも土師ノ里駅の103-A奈良県桜井市の103-Bなどで紹介してきた。上がまっすぐ、下が90度に曲げられた2本の鋼管で支えられているのが特徴である。裏面を見てみよう。

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上下の鋼管はこのように3点で固定されている。経年劣化なのか、下の方は2箇所外れており、耐久上は問題ないのかもしれないが、なんだかよろしくない状態である。

さて、白看界のバイブルこと、「道路標識ハンドブック」(全国道路標識業協会編)の広告欄のページに以下のようなものが掲載されていた。

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F型に取り付けられた104である。富士製鐵は1970(昭和45)年に八幡製鐵と合併し、現在は新日本製鐵となっている会社である。「高速時代の標識柱 パンザーマスト」とある。パンザーマストとは鋼板を管状にした部材を継ぎ合わせて1本の柱にする鋼板組立柱だそうで、アンテナ柱や無線柱などによく使用されているようだ。
このパンザーマストを使った道路標識が、F型に取り付けられるのかどうかは定かではないものの、広告に出ているのが関西のものであることなど、偶然にしてはよく出来すぎている気がする。ストリートビューで見てみても支柱に継ぎ目があるように見えるがどうだろうか(派手なカラーリングのキャラバンの廃車体も気になる)。

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101「守口市」

20111113大阪府守口市にて撮影

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◯白看の種類:101「守口市」(オーバーハング式・鋼管柱逆L字型取り付け)

 

◯設置されている道路:大阪府道2号大阪中央環状線(南行き)(旧大阪府道堺布施豊中線)

 

◯概要:今回から3回シリーズで「大阪中央環状線」の101群を紹介したい。大阪市を北から南に180度ぐるりと取り囲むように走っている大阪府道2号大阪中央環状線は「中環」の愛称でおなじみの大阪の大動脈である。「境布施豊中線」として大阪府道に指定されたのは1954(昭和29)年11月の府道路線1次指定の際。環状線としての本格的な整備は1970(昭和45)年の大阪万博の前あたりからだったようである。大動脈ゆえに車線も多く、上下線が分離しているこの区間では南行きが2車線、北行きが3車線もある。

この白看が設置されているのは大阪府守口市。淀川を挟んで摂津市と接しており、その淀川を渡るのが鳥飼大橋である。南行きは正式名称を「新鳥飼大橋」と言い、1965(昭和40)年に完成。一方北行きは日本初の有料道路橋として1954(昭和29)年7月に完成、ゲルバートラスの橋は1964(昭和39)年の無料化以降も使用されていたが2010(平成22)年2月に新橋に架け替えられている。

なお、北行きと南行きの間に現在、近畿自動車道の高架線が走っている。この区間(空いたJCT-門真IC)の完成が1970(昭和45)年3月、白看の支柱もおそらく高速の敷地内にあるので、おそらくこのタイミングで設置されたのではないか。

白看の裏面をストリートビューを使って見てみると(少し見にくいが)、補強鋼は横に3つ、縦に2つ、そして中央に支柱から伸びるアームの鋼材が入っているというものである。白看においてはこのタイプのものを関西以外ではあまりみたことがない。現行標識ではよく使われる形であるので、このことからも設置されたのは昭和40年代の後半と見るのが妥当ではないだろうか。また、アームと支柱を止める部材(リブプレート)も今日見るもののようにがっしりしている。また、支柱に管理票が貼られているようで、いまでもしっかり管理されているのがわかる。

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103-B「福岡/久留米」

20091230 福岡県八女市にて撮影
2010-2011に撤去

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◯白看の種類:103-B「福岡→53Km/久留米→13Km」(複柱式)

 

◯白看が設置されている道路:八女市都市計画道路荷稲五丁野線(国道3号線旧道)×八女市道×八女市

 

◯概要:これまで福岡県八女市土橋交差点にある白看を紹介してきたが、その交差点から南に200mほど離れた交差点に103-Bが残っていた。白看が設置されているのはかつての国道3号線の旧道にあたるのだが、この交差点(無名交差点だ)で南東方向から北へ60度曲がっている。この白看は通過車両が適切に交差点を曲がれるように設置されたのだろう。ちなみに逆方向の白看は存在しないが、往時は「熊本/玉名」と書かれた103-Bがあったのかもしれない。

標識板の距離表示の部分が大きく折れ曲がっているのが特徴だが、交差点の中でも設置されている位置がいささか妙である。車道の正面向きではなく、横断歩道の正面向きに立っている。通行車両からはかなり見にくいはずだが後年、位置を動かしたのだろうか。

この八女市の一連の記事を調べていてわかったが、白看が撤去されたのはおそらく、このページにある「まちづくり交付金 都市再生整備計画(八女福島地区)」によるものだろう。この基幹事業に市道荷稲五丁野線の整備と街灯設置が盛り込まれてある。なお、事業計画の期間は平成19(2007)年〜平成23(2011)年までとあり、白看を撮影した時もそのまっただ中であったようだ。

ストリートビューを見ると周囲の様子はほとんど変わっていないようだ。「月極駐車場」の支柱のために複柱式の支柱が切断されて残っている。 

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103-A「玉名/筑後/黒木」

20091230 福岡県八女市にて撮影
2010-2011に撤去

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◯白看の種類:103-A「玉名↑44Km/筑後5Km/黒木12Km」(オーバーハング式・テーパーポール吊り下げ・3点支持)

 

◯白看が設置されている道路:八女市都市計画道路荷稲五丁野線(国道3号線旧道)×福岡県道96号八女瀬高線(国道442号旧道←旧福岡県道24号八女大川線)

 

◯概要:福岡県八女市土橋交差点に残る白看の第3弾。交差点北側北向きの103-Aである。久留米・福岡方面を向いたこの白看の最大の特徴は表示地名の1段目が貼り直されていること。このような修正の方法は以前紹介した鹿児島県紫尾峠の103-Bのように、市町村合併による地名の変更によるものなどが考えられるが、この場合はどうだろうか。

熊本県北部に位置する玉名市は2005年10月、いわゆる平成の大合併で近隣3町と対等合併、新しい玉名市となった。ちなみに旧玉名市の発足は1954(昭和29)年。この白看の設置はそれ以降だと考えられるので地名の変更ではなさそうだ。

よく見ると、「TAMANA」の右に元の標識板に書かれていた文字が少し出ている。字の形からして「A」のような気がする。実際には錆で文字が見えにくくなったための対応策ではないだろうか。(でも距離表示まで同じように傷むかな…熊本とか書いていたのを修正したのか、しかし反対側の白看は「福岡」じゃなくて「久留米」が選ばれていたし…真相は闇の中だ。修正前の古い写真が出てくれば別だが。)


現在のストリートビューはこちら。白看のポールが立っていた場所が埋め戻されていることが確認できる(信号柱の根元の部分)。

 

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