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104「熊本/馬見原」

20100403 宮崎県五ケ瀬町にて撮影

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◯白看の種類:「熊本98Km/馬見原12Km」(単柱式)

 

◯設置されている道路:五ヶ瀬町道40号室野〜越次線(国道218号線旧道)

 

◯概要:国道218号線旧道の難所だった津花峠。峠の標高は679.5mで、北の桝形山(標高982.2m)、南の明神山(標高947.9m)の鞍部にあたる。気を付けないといけないのは五ヶ瀬町高千穂町の境界は峠ではなく、峠から直線距離で1.5Kmほど東にある。

五ヶ瀬町史(1981)にはこのような記述がある。

かつて「酷道」の名をもって悪名高かった二一八号線津花峠の険路も(p.513)

この五ヶ瀬町史が書かれたのは1981(昭和56)であるから、今から30年以上も前に「酷道」認定された「国道」だったのだろう。

この津花峠の歴史は古く、前回の記事に紹介した馬見原(現山都町)は徳川時代から明治初年にかけて豊後竹田に比肩する商業町で、高千穂郷の商品は殆ど馬見原ないし、竹田を経由してきたそうだ(現大分県道・熊本県道・宮崎県道8号竹田五ヶ瀬線)。そんな重要路の津花峠を村としてもいち早く改良したかった。1889(明治22)年には村道として開削することとなり、峠を40尺(12m)ほど掘り下げたらしい。更に1893(明治26)年には県道として車道開削の工事を起工、村内各個の賦役によって1897(明治30)年10月に完成。馬車が通れるようになった。昭和初期には五ヶ瀬町にも貨物自動車や乗合自動車が現れたようだ。

さて、前置きが長くなったがこの104は峠の頂上付近、東側に立っている。「馬見原」は前述のとおり旧蘇陽町の中心街だが、行政区域としての「馬見原町」は1956(昭和31)年9月に消滅している(周辺の2村と合併し蘇陽町発足)。これは仮説だが、行き先表示が「蘇陽」ではなく「馬見原」であることを考えると1956年より前の設置という可能性もゼロではないかもしれない。

標識板自体の状態は周囲に木があり日除けや雨よけになるのか古い割には錆がすくなく状態は良好である。

 1枚目の記事を書いた時には公開されていなかったが、津花峠もストリートビュー対応になっている。廃道とは言わないが、こんな旧道区間にまで調査が及んでいることが本当に驚きである。路面は2010年に訪れた時よりも少し荒れているようだ。

◯場所はこちら


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地理院地図