103-B「粟津港/岡崎」
20150803徳島県鳴門市にて撮影
◯白看の種類:103-B「4.2Km 粟津港 ↗/↖ 岡崎 0.8Km」(オーバーハング式・鋼管柱・2点吊り下げ)
◯白看が設置されている道路:鳴門市道林崎弁財天線(旧徳島県道12号鳴門池田線?)×鳴門市道(旧徳島県道66号粟津港撫養線)
◯概要:今年(2015年)の夏は徳島の白看の取材を行った。ざっくりとした表現をすると、徳島県に現存する白看の多くが県道12号鳴門池田線、いわゆる撫養街道沿いにあり、特にみよし市や美馬市などの西部に集中している。私も撫養街道を西から東に出来るだけ旧道を通りつつ走り、ようやく辿り着いた鳴門で偶然にも発見したのがこの1枚。少なくとも私は事前情報無しの完全なる初見だった。
この白看、写真で感じる以上に矢鱈に背が高く、写真を撮るのはなかなか苦労した。よく見てみると、矢印の作り方が矢尻とその本体とが別々のパーツで作成されていることがわかる。また「0.8Km」の右上にある小さな長方形のシールは管理番号が書かれていたものと思われる。普通裏面に貼るのが普通なので珍しい。
この白看がある場所は鳴門線を越え、撫養川を文明橋で渡り、撫養城(岡崎城)があった妙見山下のY字の交差点。現在は市道どうしの交差点であるが、里浦方面へ向かう道は昭和47年の1/5000国土基本図に「県道粟津港・撫養線」と記されている(1959(昭和34)年1月に66号として路線指定)。一方で岡崎方面へ向かう道の出自は不明である。撫養街道の延長線上であるので、鳴門池田線(1954(昭和29)年11月に路線指定)だったのか、もともと市道だったのかはウェブを頼った机上調査ではわからなかった。なお、現在の徳島県道184号粟津港撫養線の終点は国道28号の吉永交差点。ここは県道12号鳴門池田線も起点としているので、この2つの県道は時代を越えて場所を変え起終点を一つにしていたと言えるかもしれない。
さて、この白看は現在は北側、つまり岡崎側を向いている。撫養側、文明橋の方から来ると以下の写真のような様子になっている。
上記の説明でお判りになったかたもいるかもしれないが、この白看現在向いている方向に対して表示している地名が変である。「粟津港」は本来「↖」の矢印で表現されるはずだし、「岡崎」は自らの方向へバックしなければならない。そもそもこの方向だったら、「池田」などと表示してもよさそうなものが何故(全国的には)マイナーな2つの地名の表示なのか。つまり、標識板の向きが違うのだ。本来ならば上記の写真を撮った方向に正対するように立っているのが正しいはずである。おそらくは台風などの風が吹いた時に向きが変わってしまったのだろう。
裏面の補強鋼は口型。県道指定の年などから判断しても昭和30年代半ば〜後半の設置ではないだろうか。
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