101「名瀬市」

20060427/20090422鹿児島県奄美市にて撮影

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 ◯白看の種類:101「名瀬市」(添架式・隧道ポータル)

 

◯設置されている道路:旧国道58号線(和瀬隧道南側・旧住用村側)

 

◯概要:添架式の中でも、隧道のポータルに設置されたものは(現存している中では)珍しいかもしれない。

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今ではひっそりと静まり返っている和瀬隧道。現在は奄美市内ですが、2006年3月までは名瀬市と住用村の境界が隧道上を走っていました。奄美市側(「住用村」の表示)は次の記事でご紹介いたします。

2001年8月に新和瀬トンネルが開通するまでは現道。

和瀬隧道の竣工は1959(昭和34)年である。しかし開通当時は鹿児島県道瀬戸内赤木名線(1965(昭和40)年12月鹿児島県告示)。国道58号線は鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市に至る「海上国道」として有名であるが、この和瀬隧道を含む国道指定は1974(昭和49)年である。

 

最後に、この和瀬隧道があった旧住用村の村誌「わきゃシマぬあゆみ」でこの和瀬隧道が出てくる箇所を簡単に年表にしてみた。

1959(昭和34)年  和瀬トンネルが完成する。名瀬トンネルと和瀬トンネルの開通により、片道8時間かかった名瀬・古仁屋間が4時間に短縮され、バス料金が300円から250円に値下げされた。(長さ285m 幅5.5m 工費5700万円 昭和35年4月開通)

1960(昭和35)年  県道の和瀬バイパスの開通式が行われる(長さ1585mで1600m短縮 工費1億100万円 昭和32年着工)

1965(昭和40)年 県道和瀬トンネルが崩れ、通行止めになる(昭和41年12月開通)

1月、補修工事で落盤事故が起き4名が死亡する。

1974(昭和49)年  笠利町赤木名・瀬戸内町古仁屋間の県道が国道になる(国道58号)

 

ちなみにこの本には開通当時の和瀬隧道の様子の写真があるのだが、白看は写っていない。開通後しばらくして(もしくは補修後?)設置されたのかもしれない。

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白看の下には交通標語のようなものがうっすら残っていた。

 

追記:次の「住用村」の記事を書いていたときに存在に気づいたストリートビュー

 

◯場所はこちら