105「町田駅」

20120808大分県九重町にて撮影

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◯白看の種類:105「町田駅」(単柱式)

 

◯設置されている道路:国道387号線(旧大分県道小国玖珠線)

 

◯概要:前回の記事では廃線後40年が経過した今もなお残っていた警戒標識207「踏切あり」を紹介した。ふつう廃線となればそれに関連する道路標識は必要なくなるわけで、それが存在し続けているというのは非常に興奮を誘うのである。

ここは大分県九重町。町の西側を町田川に沿って南北に走る国道387号線に目当ての白看は存在する。玖珠観光バスの町田バス停の側に立っているのが、今回紹介したい105「町田駅」である。町田駅は旧国鉄宮原線の駅で、第一次特定地方交通線として1984(昭和59)年12月に廃止・バス転換されている。なので廃止後30年以上、「存在しない駅を案内し続けている道路標識」なのである。

写真をご覧頂くとわかるように標識板自体の状態は、残念ながらあまり芳しくなく、盤面には錆による穴が見られ、文字に使われた青色塗料はすべて剥げ落ちて鉄板の地肌が表面に出てきているという状態である。当然といえば当然だがメンテナンス等はされていないために、支柱とを繋ぎ止めているビスも錆び付いている。裏面はオーソドックスな「二型」。設置されたのは昭和30年代半ば〜後半といったところだろうか。

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なお、国道387号線の国道指定は1975(昭和50)年4月なので、この標識が設置されたのはそれ以前の県道小国玖珠線の頃である。

せっかくなので、町田駅の跡に行ってみることにした。宮原線は国道沿いを走っていたのだが、山の裾を通っていたので集落よりも高い位置にある。長い階段を登るとかなりよくホームの跡が残っていた。駅名票もあり、白看が残っているということも含め、この集落の人々の駅を大切に思っている表れではないかと勝手に考えている。

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地図を見て頂くとわかるが、宮原線の線路跡は国道387号線のバイパスとして新たな道を歩んでいる。私が訪れた時はまだ工事中だったが、2013年11月6日に町田バイパスとして開通した(一般国道387号(町田バイパス)開通のお知らせ)。バイパス開通後もホームの跡はしっかり残っているようだ。白看もまだ撤去されていない。貴重な交通遺産としていつまでも気にかけていてもらいたいものである。

◯場所はこちら

207「踏切あり」

20150424大分県中津市にて撮影

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◯標識の種類:207「踏切あり」(単柱式)

 

◯設置されている道路:中津市道(国道212号線旧道)

 

◯概要:今回紹介するのは大分県中津市にある警戒標識の207「踏切あり」である。一見して古いものだということはわかるが、その設置されている場所がミソである。

地図の中心、「+」で示しているのが標識の所在地。野路集落を通過している道路が標識が設置されている国道212号線の旧道である。一方、上掲地図の北東から南西に走る「幅員3.0m未満の道路」は大分県道411号中津山国自転車道線。「メイプル耶馬サイクリングロード」という愛称が付けられているこの自転車道は、廃線となった鉄道線路用地を転用して整備されたものである。耶馬溪鉄道(のちの大分交通耶馬渓線)で、沿線の過疎化と道路整備、さらに起点の中津駅の高架化の影響で、1971(昭和46)年に野路ー守実温泉間が、1975(昭和50)年10月1日には中津ー野路間が廃止となり全線が廃線となった。


野路駅は旧国道との交点のすぐ西側、カーブの途中にあった。つまり1975年10月の廃線まではこの標識があった場所の先に踏切があり、現役で使用されていたはずだ。なお、国道が集落を通過しないバイパスに切り替えられたのは、「地図・空中写真閲覧サービス」によると1962(昭和37)年から1965(昭和40)年の間ではないかと考えられる。鉄道廃止時には、既に当時の三光村村道に降格していたためにこの標識は撤去を免れたのではないかと考えられる。なお、標識の設置されたのは少なくとも1965(昭和40年)以前であることは間違いない。

 

ストリートビュー(踏切だった場所。右へカメラを動かすと野路駅の跡が見える。)

◯場所はこちら

104「中津江/矢部」

20150414福岡県八女市にて撮影

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◯白看の種類:104「中津江36Km/矢部16Km」(単柱式)

 

◯設置されている道路:国道442号線(旧福岡県道23号八女小国線)

 

◯概要:いつも未知の白看に出会うときは、興奮を隠し切れない。たいていは自家用車で探索しているが、そのたびに「おぉ…これはっ!」などと叫んでいる。他人には見られたくない様態である。さてここは福岡県八女市、合併前の黒木町を走る国道442号線である。夕暮れ時、突如視界に飛び込んできた錆だらけの標識、勿論白看であり、車内のテンションははちきれんばかりになった。国道442号線は福岡県八女市から熊本県小国町を結ぶ延長58.5Kmという短い国道だが、矢部川上流の日向神ダムや福岡県と大分県の県境である竹原峠など、なかなか楽しい道である。白看愛好家からすれば八女市内の国道3号線旧道との交差点(土橋交差点)には、以下の3枚もの白看が残っていたことから私の中でも“要監視道路”となっていた。

それでは標識をじっくり味わってみよう。一見してわかるのは“古い”ということである。錆による盤面の経年変化は勿論のこと、昭和30年代後半から見られる丸みを帯びた標準字体ではなく、どこかカクカクした感じの独特の字体である。また「中津江」のローマ字が「NAKATUE」と訓令式になっていることも注目だ。(上記2番目のリンクの103-Aの「筑後」も「TIKUGO」だった)また中津江の「江」は「𣲅」と異体字になっている。

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そして裏面は補強鋼なしの鉄板一枚物。私が見た中ではR55の星越峠、R219の横谷峠などに通ずる古さである。また、矢部方面の先にある105「日向神」も同様の字体で裏面の特徴も同様なので、同じ頃に設置されたものであると思われる。時期としては最も古い可能性としては日向神ダムの完成により道路の付け替えが発生した1957(昭和32)年頃ではないかと考えられる。
なお、設置者は福岡県である。支柱を目を凝らして見ると「福」の字が残っているのが分かる。さらに付け根の部分にもペンキで何らかの文字が書いてあるように見えるが、判読は出来なかった。

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ともかく本当にこのような白看が残っていること自体が驚きで、このように発表できることを幸運に思う。ちなみにストリートビューにもばっちり写っている。こちらも画像検索なんかが出来るようになると面白いのに。

◯場所はこちら

103-B「松戸/柏」

20120218千葉県松戸市にて撮影

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◯白看の種類:103-B「松戸↑4Km/柏→10Km」(複柱式)

 

◯設置されている道路:千葉県道51号市川柏線×松戸市道 主1-16号線

 

◯概要:業界では有名な「ラブホテル白看」。ここは千葉県松戸市新京成電鉄八柱駅北口近く。千葉県道51号市川柏線に設置されている。この県道は3枚目の写真にちらっと写っている「八柱駅北口交差点」でV字に折れ柏方向へ進む。一方、直進方向は松戸市街地へ向かうがこちらは市道。地理院地図などで見ると古くからある道のようなので、県道指定されていてもおかしくなさそうであるが、来歴はつかめなかった。
標識の左側4分の1は立ち木に隠れて、進行方向からの視認性はあまりよくない。「ラブホテル白看」と呼ばれる所以は、その立ち木があるオレンジ色の建物。ホテル「クライム・ジョイ」だ。年末になると白看の目の前にイルミネーションが設置されていたようであり、何かと周囲の条件に恵まれなかった白看である。標識自体は当然ながらホテルが建てられる前に設置されたはずだ(以下の国土地理院の空中写真から1985年前後のようである)。

裏面を示す写真がないのだが、2009年のストリートビューから判断するに薄い補強鋼が二本平行して付けられている「二型」であると思われる。

この白看、既に撤去されている(私も2013年1月に現地で確認した)。以下の2014年4月に撮影されたストリートビューをご覧頂きたい。拡大すると支柱の痕がコンクリートで埋め戻されている。設置当時、千葉県の管理票が支柱には貼られていたため、おそらく正式な手続きのもと廃止になったと考えて良さそうだ。新八柱駅側の103-Aを含め、八柱周辺の白看はすべてなくなってしまった。

 

◯場所はこちら

 

104変「大分/延岡」

20100606/20140812大分県佐伯市にて撮影

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◯白看の種類:104変「大分56Km/延岡66Km」(添架式・歩道橋添架)

 

◯設置されている道路:国道217号線

 

◯概要:大分県佐伯市の中心街「大手前歩道橋」に存在する104式の白看。しかし、英語表記のない亜種である。様式は英語表記がないだけで、他は白看のそれと一緒なので白看とカテゴライズしご紹介したいと思う。英語表記がないのは行き先表示の視認性を高めるためだと思われる。それでは、いつ頃に設置されたのか、歩道橋添架式のセオリーである橋歴板のチェックを行ってみよう。この歩道橋の場合、佐伯駅方面(北向き)の左側にある。

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これによると1968(昭和43)年2月の建造であることがわかる。白看末期の設置ということもあり、アルミ板であり、背面の補強鋼も高リブである(この取り付けのためにビスがが表側の盤面に出てきているのは珍しいと思う)。

なお、橋歴板は横300mm/縦200mmと寸法が決められている。表示されている「歩道橋 指針 1967」とは昭和42年の道企発第17号の立体横断施設設置要領(案)に依って設置されたということであり、「材質SS41」とは一般構造用圧延鋼材の中に規定のある材料記号である。この歩道橋の製作は「大和ハウス工業」である。住宅メーカーが歩道橋製作かと驚いていたのだが、Wikipedia「横断歩道橋」の項によると…

大和ハウス工業が建設酒て大阪市に寄贈した大阪駅前の歩道橋は日本初と見なされたことから、同歩道橋が完成した1963年(昭和38年)4月25日に因んで4月25日が「歩道橋の日」とされている

大和ハウス工業のHPにはその写真も掲載されている。また、歩道橋という概念を発明したのも大和ハウス創業者の石橋信夫氏という記述もあるが、果たしてどうなのだろう。そう考えると、この大手前歩道橋も由緒ある歩道橋の一つと言えなくもないかもしれない。

 

ストリートビュー 

◯場所はこちら

 

103-B「松本/薮原」

20111010長野県松本市にて撮影

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◯白看の種類:103-B「松本↑29Km/薮原→31Km」(複柱式)

 

◯設置されている道路:国道158号線×長野県道26号奈川木祖線

 

◯概要:国道158号線は松本電鉄新島々駅を過ぎたあたりから梓川に沿って走る。上流に行くに従い稲核ダム、水殿ダム、奈川渡ダムという東京電力が昭和30年代に計画した電源開発用のダム(安曇三ダム)が現れる。その中で最も上流にあるのが奈川渡ダム。堤高155mは国内のアーチダムの中でも3番目の大きさだそうな。

さて、その奈川渡ダムの側に今回の白看が取り付けられている入山隧道がある。このトンネル、洞内分岐があることでその筋には知られた存在である。これについてはヨッキれんさんの山さ行がねがに詳しいのでそちらを参照されたい。トンネルの安房峠(奈川渡ダム)側にはT字の交差点があり、そこが国道158号線と長野県道26号奈川木祖線との分岐になっている。ちなみに白看に表示されている「薮原」は木祖村の中心集落。ここで国道19号線(中仙道)と合流する。白看は上記の分岐を知らせるためのものなので、実際にはかなり遠くからの視認が必要である。ストリートビューでご覧頂きたい。

 入山隧道の竣工は1968(昭和43)年である。奈川渡ダムの完成が翌年の1969年であるので、白看の設置もその頃だと考えられる。1枚目の写真を見るとわかるが、この白看はトンネルの坑門の上に短い複柱式の支柱を立てて取り付けられている。左側のそれには「長野県」の設置者表示がある。近くで観察すれば、設置年がわかったかも(「長野県」ラベルに同時に書いてあることが多い)しれないが、流石に近づくことは出来なかった。盤面は後期白看特有のアルミ板で裏面は高リブの補強鋼だろう。

しかし、この白看も二度と見ることが出来ない。上掲の「そういえば」から始まる2014年7月にポストされた2つのツイートによると撤去されてしまったようだ。反射塗料の“はげ”は見られるものの、状態は悪くなかっただけに残念。。

 

◯場所はこちら

 

104「相模湖/津久井」

20110123神奈川県相模原市にて撮影

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◯白看の種類:104「相模湖15Km/津久井5Km」(添架式・歩道橋添架)

 

◯設置されている道路:国道413号線(旧神奈川県道55号相模原与瀬線)

 

◯概要:こちらは神奈川県相模原市。市の北部を横断する国道413号線、橋本と津久井湖を結ぶ線のちょうど中間地点、城山町の中心街に存在する白看である。「久保沢第1歩道橋」というこの周辺の地区名から名付けられた歩道橋への添架である。
私が白看に興味を持ちだした初期である2011年の調査ということで、あまり写真を撮っていないのが悔やまれるが、アップの写真からわかるのは背面の補強鋼が新しいタイプの“高リブ”であるようだ。白看の状態だが、盤面のコーティングの仕様なのか、青色、赤色の塗料は退色し、灰色に変化している。
なお、写真右側に歩道橋の橋歴板(建造年とか建造業者などが彫られてあるプレート)があるのだが、こちらも残念ながら写真を撮っていない。しかし、あおまるさんの「北相迷走記」によると「1967年3月完成」とあるので、もし歩道橋の完成した当初から白看も設置されているのならまもなく50年を迎えるということになる。
神奈川県も数多くの歩道橋添架の白看が残っていたのだが、急速に数を減らしつつある。私が取材を開始した2010年ごろでも遅かったくらいだ。貴重となりつつある交通遺産として末永く残ってほしいものである。

 

ストリートビュー

 

◯場所はこちら

103-B「横川/祁答院」

20141124鹿児島県さつま町にて撮影

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◯白看の種類:103-B「横川↑27or29Km/祁答院→6Km」(複柱式)

 

◯設置されている道路:薩摩川内市市道(鹿児島県道50号宮之城牧園線旧道→国道504号線旧道)×薩摩川内市市道(鹿児島県道51号宮之城加治木線旧道)

 

◯概要:以前紹介した103-C「祁答院」。

記事のアップが終わり、その後白看マップの整理を行っている際、まさか対面にはないよねとストリートビューを開くと見覚えのあるお姿が。(追記:どうやらまたストリートビューが埋め込み出来るようになっている。ま、当然なんだけど…助かります。。)

まさかとは思ったが、どうやら現存しているようだ。なんで最初に行った時(すなわち2006年)に気づかなかったんだよ自分のバカバカバカとは思ったが、数少ない九州の残存白看ということなので、すかさず調査に向かうことにした。

場所は鹿児島県さつま町。鹿児島県を人間の足に見立てるなら、右足の太もも辺りにある(極めて雑だが)のがさつま町である。しかし現場に到着すると、支柱しかない。どうやら盤面は朽ちて落下したようだ。現行のストリートビューが撮影されたのが 2013年12月ということで少し遅かったかーと思ったが、こういう場合、大抵盤面は改修されずにその辺に落ちていることが多い。やはり公共物である道路標識を簡単に一市民の判断で捨てるのにはなかなか抵抗があるのだろう。

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というわけで、あっさり盤面は確保された。写真を撮影するためにひっくり返したり、動かしたりしたが、現状の通り戻したので今もこのような配置になっていると思う。

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主要道路たる面目躍如か対面の103-C「祁答院」と同様に大型盤面で、裏面は補強鋼が2枚渡った「二型」である。ストリートビューを見ると下側の補強鋼はもともとなかったようなので、上側の補強鋼、とくに右側が限界に達し落下してしまったのだろう。

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表示されている地名は「横川」と「祁答院」。横川は九州自動車道が通る鹿児島県中央部(足に見立てると下腹部のあたり)にある町で、現在は国道504号、県道50号牧園薩摩線を経由して至る。盤面の劣化により標識板の上下1/5ずつほどが失われていて、横川への距離が微妙にわからない。27か29だと思うのだが…しかし対面が103-Cなのに、こちらが103-Bなのは何故だろう。表示に「宮之城5Km」などと入っても良さそうなものだが…行政区域的にはここは旧宮之城町なので避けられたのか。。よくわからない。

しかし、小さな発見だが白看調査には灯台下暗しという言葉がつきものだと改めて実感させられた1枚であった。

 

◯場所はこちら

103-B「宮内/中川駅」

20101219山形県南陽市にて撮影

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◯白看の種類:103-B「宮内↑5km/中川駅←6Km」(単柱式)

 

◯設置されている道路:山形県道5号山形南陽線×山形県道238号原中川停車場線

 

◯概要:ここは山形県南陽市、市街地から吉野川に沿って走る山形県道5号山形南陽線を北へ8キロ。国道13号羽州街道方面へと接続する県道238号原中川停車場線の分岐地点にこの白看がある。最大の特徴は何と言っても支柱が木製であること。木柱白看といえば、長野県にかつて存在した103-B「長野/柏原」しか知らない。現役はおそらくここだけかと思われるため、非常に貴重な一本である。前述の長野の白看も裏面は補強鋼なしの“鉄板一枚もの”だったので、この白看も同様ではないだろうか。撮影当時は取材が甘く撮影していなかったのが悔やまれる。おそらく材質は琺瑯ではなさそうだが、琺瑯のような塗料の“盛り”と、「宮内」を「MIYACHI」と表記している点、また妙に太った(「宮」の字など)フォント、そして数字の端正なレタリングの雰囲気からもかなり早い時期に設置された白看ではないかと推察される。

この白看は以前からよく知られており、多くの方々がレポートされている。私より3年前に取材されているbrixさんの「白看ブリグ」によると、かつては上記写真の手前にあった木の側に立っていたことがわかる。当時からバインド線で緩く木に巻き付けられ、標識の盤面も傾いて落ちそうな状態であったことを考えると、救ってくれた(地元の)人には感謝至極である。(なお、現在のストリートビューを見たところ、県道238号側の取り付け道路が拡幅されている。もしかして、その際に木は切り倒されたのかもしれない。もしそうであれば、なおさらこの白看が残ったことは嬉しいことである。)

そして、昨年の夏には@o_ishiguroさんがTwitterにて現状をレポートしてくださっている。写真を見ると少し倒れ始めているようだが、このまま撤去されずに残っていきそうである。こうやってデジタルの力で白看の定点観測が出来る、良い時代になったものだ。

 

◯場所はこちら

 

103-B「髙知/松山」

20141230愛媛県砥部町にて撮影

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◯白看の種類:103-B「髙知↘116Km/松山↖11Km」(単柱式)

 

◯白看が設置されている道路:砥部町道供養堂四辻線(愛媛県道10号松山砥部内子線→国道379号線旧道)×国道33号線

 

◯概要:前のブログ更新から1か月。すっかり時間が開いてしまった。2015年最初の更新は、前回ご紹介した103-C「松山」と同じ国道379号線旧道にある白看。昨年の年末、上尾峠へのアタックの際に見つけたのだが、なぜこんな場所に残っているのかと言いたい現役片道2車線国道との交差点に存在している。表示されている地名は高知と松山。大都市であるのが非常に貴重だ。高知の「高」はいわゆる「はしごだか」になっているのも期待を裏切らず味わい深い。

さて、この白看がある供養堂交差点、昭和50年代初めまで、かつての愛媛県道10号松山砥部内子線と国道33号線の分岐地点であった。そのためにこのような表示の白看が設置されたと思う。白看の向かい側の土地は現在空き地になっているが、かつてはガソリンスタンドがあったようである(それ自体、この交差点が重要なものだったことを表している)。さて、その側に立つ電柱の根本にはこのような石柱があった。

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左は「久万山道」、右は「砥部(道?)」とある白看と同様の標識だろう。少し埋められているのだろうが、それにしては小さすぎない??

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表中は愛媛県設置の単柱式白看の特徴である“3枚シール”の「愛媛県」表示。
また、背面の補強鋼は「二」型。いずれも上尾峠にかけての白看群に共通の特徴なので、同時期に設置されたものかもしれない。

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白看はもちろんアスファルトを基礎としてしっかり埋められているが、隣?もたれかかっている電柱ともしっかり結ばれている。一蓮托生、このまましっかり残っていてほしい。(ちなみに私の事前の調査では、ネット上を含め一切見つけることが出来なかった。こんな町中にあるのに…逆に目立たなかったのか)

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◯場所はこちら